
アメリカのロイヤルファミリーといわれる名門一家、ケネディ家。ジョン・F・ケネディ元大統領の甥にあたる御曹司、コナー・ケネディや、母がケネディ家の流れを汲むパトリック・シュワルツェネッガーが相次いで婚約を発表、一族にお祝いムードが漂っている。そこで今回は来るべき結婚式に備えて、ケネディ家の花嫁たちの結婚にまつわるエピソードをプレイバック。歴史に数々なドラマを残してきたケネディ家にふさわしく、結婚&婚約もエピソードが盛りだくさん。
ローズ・フィッツジェラルド(夫:ジョセフ・P・ケネディ)
数々の悲劇に見舞われながらも、104歳という長寿をまっとう
まずはケネディ家で最も有名な、JFKことジョン・F・ケネディ元大統領(以下ジョン)の両親、ジョセフ・P・ケネディとローズ・フィッツジェラルドの恋からプレイバック。ちなみにJFKのFはフィッツジェラルドのイニシャルである。
それはさておきローズの父はケネディ家の地元であるボストン市長を務めた有力者ジョン・F・フィッツジェラルド。当時のボストン政界はケネディ家とフィッツジェラルド家が牛耳っていたので、両家はいわばライバル。ジョセフとローズが結婚すれば、両家はタッグを組み圧倒的な力でボストン政界を支配できるようになる。
しかしUS版『タイム』誌によると、ローズの父は2人の交際に反対。ジョセフに対する疑いが捨てきれず、結婚を阻止しようとローズをヨーロッパの修道院に送ってしまう。しかしそれにも負けず、7年の月日をかけて愛を育み1914年に結婚する。

しかし、結婚生活は安泰ではなかった。ジョンもプレイボーイなことで知られていたけれど、それは父譲りだったよう。ジョセフは結婚してからも女優のグロリア・スワンソンら複数の女性と浮気。ローズは見て見ぬふりを続けていたが、4人目の子どもを妊娠中に耐えきれなくなって実家に帰ってしまった。しかしフィッツジェラルド家は敬虔なカトリック教徒。結婚に反対していたローズの父も「離婚は絶対に許さない」とローズをケネディ家に帰した。ローズはその後、薬物に依存していくようになる。
2人の間には次男のジョンを含め9人の子どもがいたが、長男ジョセフ・ジュニアは第2次世界大戦で若くして戦死。長女ローズマリーは少女期に問題行動をとるようになったことから、ジョセフの判断によりロボトミー手術を受けさせられた結果、知的障がいの後遺症を負うことになった。次女のキャサリーンは28歳で飛行機事故で亡くなっている。次男ジョンと三男ロバートが暗殺されたのはご存知の通り。
数々の悲劇に見舞われたが、ローズ本人は104歳まで生き、肺炎で亡くなっている。晩年はマサチューセッツのハイアニスポートにある有名なケネディ家の別荘、ケネディコンパウンドで看護師らのケアを受けて暮らしていた。
キャサリーン・ケネディ(夫:ハーティントン侯爵)
戦争に翻弄された、ローズの娘のロマンス
父から恋のじゃまをされるという経験を味わっているローズだが、自分も娘の恋には厳しかった。次女キャサリーンは父が駐英大使を務めていたときにロンドンの社交界にデビュー。ハーティントン侯爵ことウィリアム・キャヴェンディッシュと恋に落ちた。しかしローズは侯爵が英国国教会の信徒だったことから交際に猛反対。キャサリーンは反対を押し切って1944年に侯爵と結婚する。市民婚の結婚式にはローズの長男、つまりキャサリーンの兄に当たるジョセフしか出席しなかった。もう一人の兄ジョンはキャサリーンと仲がよかったというが当時背中を痛めて入院中だったため参加できなかったよう。
愛を貫いたキャサリーンと侯爵だが、侯爵は結婚から4カ月後に第2次世界大戦で派遣されたベルギーで戦死してしまう。その後後彼女はフィッツウィリアム伯爵と交際を始めるが、1948年に伯爵とバカンスに出かける途中で飛行機事故で亡くなる。28歳だった。
ジャクリーン・ブービエ(夫:ジョン・F・ケネディ)

ケネディ家で最も有名な花嫁
ケネディ家で最も有名な花嫁といえば、ジョンと結婚したジャッキーこと、ジャクリーン・ブービエ。ブービエ家はフランスにルーツを持つ名門一家。ジャクリーンが幼いときに両親は離婚するが、母は実業家と再婚しジャクリーンは裕福な少女時代を過ごす。17歳で社交界にデビューした際は、その年の最も素敵なデビュタントに贈られる「デビュタント・オブ・ジ・イヤー」を授賞するほど才色兼備なことで有名だった。
ヴァッサー大学からフランスのソルボンヌ大学に留学、アメリカに戻ってきてからはジョージ・ワシントン大学に編入、大学卒業後は新聞「ワシントン・タイムズ=ヘラルド」の記者に。その頃あるパーティーでジョンと知り合いに。交際を始めるようになり、ジャクリーンは1953年、24歳のときに結婚した。

結婚式はジャクリーンの母ジャネットの再婚相手で実業家のヒュー・ダドリー・オーチンクロスがロードアイランド州ニューポートに所有する大豪邸ハマースミス・ファームで開催された。結婚式にはときのローマ教皇ピウス12世から祝辞が届き、レセプションは1,300人が出席するという華やかなものだったが、花嫁には納得いかない点があったもよう。
それはウエディングドレス。大きく開いたネックラインにワックスで作られた花で飾られたボリューミーなスカートは、まるでおとぎ話に出てくるプリンセスのようだが、ジャクリーン自身はもっとシンプルで直線的なラインのドレスを望んでいたという。家族から「トラッドなドレスを着るべき」というアドバイスという名の圧力を受けた結果、このドレスを選ばざるを得なかったという。雑誌『タイム』の報道によると、彼女は「ランプシェードみたいだ」と思いながらこのドレスを着ていたという。ちなみに手がけたのはニューヨークを拠点とするデザイナーのアン・ロウ。彼女はこのドレスで一躍セレブ御用達の地位を獲得した。
エサル・スカケル(ロバート・F・ケネディ)

テイラー・スウィフトの歌のモデルになった花嫁
有名すぎるジャクリーンのせいでかすみがちではあるけれど、ジョンの弟でのちの司法長官、ロバート・F・ケネディにももちろん花嫁がいた。名前はエサル・スカケル。父は石油コークスを製造する大会社グレート・レイクス・カーボン・コーポレーションを立ち上げた人物で、エサルもジャクリーンに負けず劣らずお嬢さま。
コネチカット州で最も古い伝統ある女子校グリーンウィッチアカデミーからニューヨークの名門カトリック系女子高セイクリッド・ハート・スクールに進学、その後マンハッタンヴィルカレッジに入学した。そこでロバートの妹ジーンとクラスメートになったことからケネディ家と知り合いに。

彼女とロバートが出会ったのは1945年。当時17歳だったエサルがケネディ家とスキー旅行に参加したのがきっかけだった。しかしその旅行でロバートが恋に落ちたのは、エサルと一緒に来ていた彼女の姉パトリシアの方だった。しかしその関係は長くは続かず、パトリシアと別れたロバートはすぐにエサルと交際をスタート。エサルは22歳で婚約、4カ月後には結婚式を挙げる。
ちなみに、テイラー・スウィフトはロバートの孫に当たるコナー・ケネディと交際中に、エサルとロバート2人の恋物語からインスピレーションを得て作った楽曲「Starlight」を発表しているが、歌詞にパトリシアは出てこない。コナーにすっかり夢中だったと言われるテイラー。当時も今も存命で、自分の義理祖母になるかもしれないエサルのことを配慮して、意識的に触れなかった可能性も大。
ユーニス・ケネディ(夫:サージェント・シュライバー)

スペシャルオリンピックの生みの親
もう1人忘れてはならない花嫁は、ジョンやロバートの妹のユーニス・ケネディ。彼女は知的な発達障がいのある人にもスポーツを楽しむ権利があるという信念を貫き、スペシャルオリンピックの前身となるキャンプ・シュライバーを立ち上げた人物。
その背景には姉ローズマリーがロボトミー手術で知的障がいの後遺症を負ったことがあると見られているが、それはさておき彼女は1953年、32歳のとき外交官で政治家のロバート・サージェント・シュライバーと結婚する。

結婚式で話題になるものといえばまずウェディングドレスだが、ユーニスの結婚式で注目を集めたのはケーキ。なんと6段もある豪華なもので、ケーキカットに苦労するほど高さがあった。ユーニスはロバートに支えてもらいながら踏み台に登り、中央部分を1人でカットするという一風変わった共同作業を披露した。
ちなみにユーニスは、後半で出てくる映画『アベンジャーズ』『ジュラシック・ワールド』シリーズのクリス・プラットの妻、キャサリン・シュワルツェネッガーの祖母である。
パトリシア・ケネディ(夫:ピーター・ローフォード)

ハリウッド俳優と結婚した、ケネディ家の社交担当
多くのハリウッドセレブたちとも親交があったケネディ家。一家とショービズ界とのつながりを太くするのに一役買ったのが、ジョンやロバートのもう1人の妹パトリシアである。映画や舞台が大好きだった彼女はローズモント大学を卒業後、生まれ育った東海岸を離れて西海岸のロサンゼルスにお引越し。ハリウッドで働き始める。そこで出会ったイギリス人俳優のピーター・ローフォードと30歳になる直前に結婚する。しかし2人の関係は婚約時代からギクシャクしていたという。

原因はローフォードの飲酒癖と浮気癖。また彼がケネディ家の名前の大きさに苦しんでいたこともあるという。ローフォードはエリザベス・テイラーやエヴァ・ガードナーら当時の有名美人俳優たちと関係を持っていたと囁かれている。
ちなみにジョンとロバートが女優のマリリン・モンローと不倫関係にあったのは有名な話だが、2人にマリリンを紹介したのもローフォードだという噂。歴史上あまり注目されないパトリシア&ローフォード夫妻であるが、2人が結婚しなかったら悲劇のスター、マリリンの運命は変わっていたかも。
ジーン・ケネディ(夫:ステファン・エドワード・スミス)

姉のお下がりドレスで式を挙げた堅実なキャラ
パトリシアの妹で兄ロバートとエサルの恋のキューピッドを果たしたジーンは1956年、28歳のときに実業家のステファン・エドワード・スミスと結婚する。
彼女の結婚式に関して、ケネディマニアの密かな注目を集めているのがウエディングドレス。2年前に結婚したパトリシアのものにそっくりであることから、姉から譲り受けたのではないかと囁かれている。
大金持ちで知られるケネディ家の姉妹がお下がりドレスを着るとはなかなか信じ難いけれど、ジーンはケネディ家の女性の中でも特に堅実なキャラクターで知られる人物。姉ユーニスが知的障がい者のためのスポーツイベントを立ち上げたのに対して、彼女は彼らのためのアートプログラムを設立。60代になってからもアイルランド大使として北アイルランドの和平のために尽力した奉仕の精神に満ちた人。ドレスは倹約、ヘッドドレスとヴェールだけ新調した可能性も高い。
マリア・シュライバー(夫:アーノルド・シュワルツェネッガー)
![Maria Shriver;Arnold Schwarzenegger [& Wife] maria shriverarnold schwarzenegger wife](https://cdn.statically.io/img/hips.hearstapps.com/hmg-prod/images/actor-arnold-schwarzenegger-with-his-new-wife-maria-shriver-news-photo-1724460164.jpg?crop=1.00xw:0.844xh;0)
下積み時代から夫を支えつつも、裏切られ離婚
ここからは次の世代。ユーニスとロバート・サージェント・シュライバーの娘マリア・シュライバーから見てみたい。
テレビ界でジャーナリストとして活躍していた彼女は、1986年、31歳のときに俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーと結婚する。シュワルツェネッガーがアクションスターとしてブレイクする前から10年にわたって愛を育んでゴールイン、4人の子どもをもうけたものの2011年に破局。原因はシュワルツェネッガーが20年にわたって家政婦の女性と不倫関係を続け、隠し子まで作っていたこと。25年の結婚生活のうち20年不倫って……。この関係発覚と離婚でシュワルツェネッガーの評価が爆下がりしたのはいうまでもない。
キャロライン・ケネディ(夫:エドウィン・シュロスバーグ)

元駐日大使の親日家
マリアの結婚式でブライズメイドを務めたのは、マリアの従妹で、ジョンとジャクリーンの娘キャロライン・ケネディ。元駐日大使として日本でもよく知られているキャロラインだが、彼女は政治の道に進む前、メトロポリタン美術館のリサーチ部門で働いていた。そこでアーティストで作家のエドウィン・シュロスバーグと出会い、交際に発展。1986年、29歳で結婚した。
結婚式で彼女が選んだのは「キャロライナ ヘレラ」のウエディングドレス。キャロライナがデザインするウェディングドレスはセレブにも人気だが、初めて手がけたウェディングドレスがキャロラインのこのドレスだった。

母ジャッキー(写真左)をはじめ、親族は結婚式を非公開にし静かに行いたいと考えたというが失敗。教会の外には多くの人が集まり(新郎新婦が喜んだかどうかは別として)2人を祝福した。ちなみに当然ながら花嫁の父は不在。キャロラインはジョンの弟エドワード・ケネディ(写真右)とバージンロードを歩いた。結婚生活が破綻しがちなケネディ家だけれど、キャロラインとシュロスバーグは今も夫婦生活を続けている。
キャロリン・べセット(夫:ジョン・F・ケネディ・ジュニア)
才色兼備なファッションアイコン
キャロラインの弟でジョンとジャクリーンの長男、ジョン・F・ケネディ・ジュニアと結婚したのがキャロリン・べセット。ボストン大学卒業後、「カルバン・クライン」の店舗で働いていたキャロリンは、その美貌と仕事のできっぷりから本社のスタッフに引き抜かれるという才色兼備な女性だった。
その魅力にはスーパーモデルのシンディ・クロフォードや女優のサラ・ジェシカ・パーカーら華やかなセレブたちと交際してきたジョン・F・ケネディ・ジュニアも抗えなかったよう。女優のダリル・ハンナと別れた直後にキャロリンと知り合い、交際に発展。1996年、キャロリン30歳、ジュニア36歳のときにジョージア州カンバーランド島の小さな教会で極秘結婚する。ウエディングドレスは「カルバンクライン」のデザイナーで、当時はまだ無名だったナルシソ・ロドリゲスが手がけた。

美男美女カップルとして社交界で人気を集めたが、結婚式から3年後、ジュニアの操縦する小型飛行機で親戚の結婚式に向かっている途中で飛行機が墜落。夫妻は若くしてこの世を去ってしまう。叔母に当たるキャサリーンとフィッツジェラルド侯爵とよく似た死は「ケネディ家の呪い」の1つとも囁かれている。
キャサリン・シュワルツェネッガー(夫:クリス・プラット)
名門の血を引く、センスあふれる花嫁
もう1つ下の世代、つまりジョンの孫世代も結婚して家庭を築くお年頃になっている。最も有名なのはジョンの妹ユーニスの孫にあたり、マリア・シュライバーとアーノルド・シュワツェネッガーの娘のキャサリン・シュワルツェネッガー。俳優のクリス・プラットと2019年に結婚した。キャサリンのウエディングドレスとクリスのスーツは「ジョルジオ アルマーニ」のもの。結婚式は親しい友達や家族だけを招いたアットホームなものだったけれど、式場にはジョンとジャクリーンがハネムーンで訪れた、カリフォルニア州のモンテシートの有名リゾート、サン・イシドロ・ランチを選んだ。超高級なだけでなく歴史ある老舗を選ぶところがさすが名門、ケネディ家。
マライア・ケネディ・クオモ(夫:テレフ・ルンデバル)
名門×政界のサラブレッド
ロバート・ケネディとエセルの第7子、ケリー・ケネディの娘マライア・ケネディ・クオモは、今年7月に実業家のテレフ・ルンデバルと結婚。ちなみに姓からわかるようにマライアの父はニューヨーク市長を務めていたアンドリュー・クオモ。ケリーとアンドリューはすでに破局しているが、マライアの結婚式には政界やファッション界、実業界から約400人が出席、キャサリン&クリスとは対照的に盛大に開催された。会場に選ばれたのはケネディ家の聖地とも言われるハイアニス・ポートにあるケネディ・コンパウンド。
レセプションではウエディングケーキが話題に。マライア曰く「大叔母のユーニスのウエディングケーキにインスピレーションをもらった」。超高層のウェディングケーキをオーダー、ユーニスと同じようにはしごに登ってケーキカットを披露した。マライアによるとてっぺんには婚約記念日を彫刻した銀のベルを飾ったとか。でも高すぎて誰にも見えなかったのは間違いない。
ちなみにユーニスの娘マリア・シュライバーもシュワルツェネッガーとの結婚式で超高層ウェディングケーキをカットしている(インスタ写真4枚目)。この演出はケネディ家の結婚式の裏メニュー、ならぬ裏伝統になっているもよう。次は誰がトライするのか楽しみにしたいもの。