自分らしい働き方で好きなことを仕事にする女性を紹介する連載「Own Boss Women」。今回は、防災とサステナブルファッションを通じてよりよい社会を実現するべく活動する、まこぴ(古島真子)さんにインタビュー。
TEXT:YUKA SONE SATO
古島真子(ふるしままこ)/お茶の水女子大学で国際協力を学び、一年次に東日本大震災のボランティアを経験。その後、繊維商社、コンサルティングファームを経て2024年2月に株式会社Colorful Bosai Creationを設立。一人一人に合った本質的な防災を伝えることで、自然災害が原因で人が命を落とさない社会を目指す。Instagram
防災は十人十色。それぞれの生活に寄り添いたい
ーー防災士として、防災の仕事をするようになったきっかけは?
防災士というのは、災害発生の仕組みや命の守り方、過去の災害事例など幅広く防災について網羅することができる民間の資格保持者です。目的は人それぞれですが、基本的には防災に関心が高い方や会社の防災担当の方などが多いです。
ただ、国家資格である消防士や防災管理者と違い、直接的な仕事につながったり、仕事が発生したりというわけではないんです。資格を取得することでとても勉強になりましたが、取っただけでは誰の命も救えない。どうしたらこの資格を生かせるのか考えたときに、人に伝えることで誰か一人でも防災力がアップしたらうれしいし、伝える立場になることで自分にも良いプレッシャーとなり防災を続けられそうだなと思い、発信を始めました。
ーー2024年2月、Colorful Bosai Creationという会社を立ち上げ、防災イベントの監修やコンサルティングを行っています。それまでの歩みと現在の仕事内容を教えてください。
防災士の資格を取った2020年の会社員をしていた当時に、個人のインスタグラムから発信をし始めました。続けるほど意義を感じ、もっとこの活動を頑張りたいと思うように。それから、防災専門のアカウントを立ち上げて、情報発信をしたりイベントを開催したりと、できることから始めてみました。
4年たった昨年、会社を設立。現在は、会社を立ち上げる前から実施していた年間10回から15回のお話会やワークショップなどのイベント主催、登壇やSNS発信など、伝えることを主軸にみなさんの防災との「架け橋」として活動を続けています。また「お困りごと解決のサポーター」として企業のオリジナルの防災マニュアル作りなども行っています。業種によって働き方が違うことは当然ですが、同業種であっても地域や会社ごとの人数や状況の違いで防災に関する課題がまったく異なります。また、企業の防災担当者が必ずしも防災に詳しいわけではなく、何をすべきかわからなくて困っているという声も。それらをしっかりヒアリングして、いち企業の防災対策を設定し、従業員たちに周知していくということもしています。
ーー“カラフル防災”という名前が示す会社理念について詳しく教えてもらえますか?
人も会社も十人十色の個性があります。防災もその個性の数と同じくカラフルであるべきなので、会社やグループごとに合わせた防災対策をサポートさせてもらっています。企業だけでなく、個人向けに「パーソナル防災」というのも行っていて、それぞれの生活環境に合わせた持ち物や、カウンセリングのような形でカスタマイズした防災の方法を指南しています。防災と聞くと正解やパッケージを求めてしまいがちですが、それは本質的な防災ではないと思っていて。世帯数や年齢、体質、趣味などが全く違うそれぞれの生活に則した優先順位をどうつけられているかが大切なんです。そして、防災を日頃から考えて取り入れられているかどうかは、災害時にどれだけ通常時と変わらず生活ができるかに関わってきます。
法人化することで、対会社、対自治体との取り組みも徐々に増えてきました。4年前に打ち立てたコンセプトを変えずにより広く数多く伝える事ができていると実感していますし、私を通じて伝えてくれる人がどんどん増えたら社会が変わるんじゃないかなと思っています。
防災を“陰キャ”から“モテキャラ”へとプロデュース
ーー発信にあたり心がけていることは?
真面目で陰キャになりがちな防災というトピックをモテキャラにするかのごとく、ハッピーに防災を伝えることが使命だと思っています。常に何か楽しいものとの掛け算で発信するようにしていて、お話会ではいろいろなワークショップを実施し、興味を誘うようにしています。
例えば、オリジナルのアロマスプレーを作りながら、防災リュックに入れるものを確認することで防災時のウェルリビングという概念を伝える、といった感じです。また、ビーチクリーンで拾った海洋ごみをデコレーションしたキャンドルホルダーを作りながら、「海と共に生きる」をテーマに、海の環境や津波防災(3.11で陸前高田で起こったこと)のお話をしたりしています。お話会での内容も、食や美容、趣味といったところから切り口を考えて、より自分ごとに感じてもらえるようにしています。
コンサルから防災士へ。華麗なキャリアの根底にあるサステナビリティ
ーー現在サステナブルファッションの一般社団法人unistepsでも活動されています。防災と並行させている背景にはどのようなことがあったのでしょう?
最初のきっかけは、大学でファッションの課題に出会ったことです。その時、自分のテーマをサステナブルファッションに定め、マスのファッション業界やモノ作りを知るために繊維商社のモリリンに入り、担当企業だった「しまむら」の営業を務めました。その後、社会を変えるためにいろいろな会社を知ろうとデロイトに入社して、さまざまなプロジェクトのコンサルティングを行いました。基本的にサステナブルファッション軸でずっとキャリアを積んでいました。
少し話はさかのぼるのですが、大学1年生の時に3.11が起こり、学生時代は岩手県の陸前高田市へボランティアに何度も通っていたんです。そのうちに現地のお祭りの面白さに心打たれ、卒業後も毎年のように通い続けました。その後、3.11から7〜8年たってコンサルティングファームで働いていた頃、陸前高田の友人と居酒屋で地震当時のことを話す機会があったんです。その時に、被災の現場を見てきた自分でさえ、一度東京へ帰れば、何も防災対策をしていないままであることに気づきました。
防災士資格を取得後、自分の人生の中の限られた時間とエネルギー、パッションを本当にやりたいことに使おうと、コンサルを辞めて、とにかく防災をやりたいという気持ちでいたんです。その時はサステナブルファッションはもういい、とすら思っていたのですが、すぐには生計が立たない。そんなときにunistepsにご縁があってダブルワークという形で働きはじめることになりました。
ーー一般社団法人unistepsではどのような役割をされているのですか?
unistepsには現在、生活者との取り組み、クリエイターとの取り組み、そして企業・行政との取り組みという3つの軸があるのですが、私は企業・行政との取り組みの枠でジャパンサステナブルファッションアライアンスという企業連携プラットフォームの事務局をしています。カーボンニュートラル・ファッションロスゼロ・人権を主なテーマにした会員企業間の議論や勉強会、政策提言など、各種取り組みをサポートしています。最近では他のファッション系業界団体と連携して環境省事業に応募し、業界全体で温室効果ガス排出量削減に向けた考え方を示したガイドラインを出したりもしました。
前職が繊維商社とコンサルという経験を生かしながら、ファッション業界をより良い業界にしていくために力を注ぎたいと思っています。
受ける側、与える側。“カラフル”なニーズに向き合った3.11
ーー大学時代に行った岩手県・陸前高田市でのボランティアは現在の活動にどのように影響していますか?
東日本大震災が起きた2カ月後から、在籍していた大学の学部の教授と希望者数名が陸前高田や気仙沼、福島のいわきなどを訪れていました。陸前高田の市内だけでも市役所や仮設住宅などいろいろなところを回らせてもらいましたが、どこも大変な被害ばかり。その状況で、私たち女子大生にできることと被災者の需要にミスマッチが生じないようにしたいという前提で相談を進めたところ、仮設住宅の集会所での「コーヒーやお茶を飲みながらのおしゃべり」(現地では「お茶っこ」と言われる)にたどり着いたんです。当時現地ではコーヒーは嗜好(しこう)品で、支援物資で欲しいと言いにくかった。さらに被災者同士、近い人に言えない悩みでも“東京の女子大生“になら気軽に話せた。
当時は自分達がボランティアをしている感覚もなく、むしろ現地の方々の優しさを受け取ってばかりでした。しかし、パッと見は元気そうに見える方もお話を聞いていくと実はとても辛い思いをしていて寝られていなかったり、周囲にはなかなか言えない悩みを抱えたりしていた方も多かったことは印象に残っています。被災された方の悩みや課題は外見だけではわからないから、信頼関係を築きながら一人一人とゆっくりと向き合う必要があると感じた経験です。
「お姉ちゃんたちが来てくれると元気が出る! 来てくれるだけでうれしい!」とニコニコ笑って言ってもらったこともうれしかった。そんな風にいつも「おかえり」「いってらっしゃい」と言ってくれる方がいたおかげで、気づいたら陸前高田の大ファンになり、卒業後もずっと通い続けていました。
ーー7年を経て防災に向き直りました。何があったのでしょう。
陸前高田に通いながらも防災をできていなかった自分にハッと気付いたのは、震災から7年後でした。最も尊敬している現地の友人からの「地震が来たら逃げなきゃダメだよ」というシンプルな言葉が突き刺さったのは、それを言われた場所が普段の生活を取り戻しはじめた町の居酒屋だったからかもしれません。
当たり前に存在するものがなくなってしまうことを知っている私たちが「普段」を取り戻した時にはじめて、普段の準備がいかに大切かを痛感した。そこで、目覚めたんだと思います。実は私、小さい頃に父親を亡くしていて。もう20何年もたっていますけど、亡くなった人は絶対に帰ってこないという感覚を体感しているので、想像力が働くのかもしれません。モノはなんとかなることもありますが、命だけはどんなにひっくり返っても帰ってきませんから。
自然災害で命を落とす人が一人もいない社会へ
ーー一人一人が防災意識を当たり前に持つためにどういったことが必要でしょうか?
難しいことではあると思いますが、身近に発信する人が少しでもいれば気づきのきっかけにはなるんじゃないかなと思います。また、機会があればボランティアや地域経済をサポートするつもりで、安全を確保したうえで被災地を自分の目で見ることでも意識が変わるかもしれないですね。何かが起きたときに準備しても、少し時間がたつとつい忘れがちなので、自分の誕生日や衣替えの季節に、荷物や環境のチェックをするなどもいいかもしれません。防災を考えることは自分と自分の生活、家族を守ることです。
ーー防災は実際どのようなところから始めたら良いでしょうか?
防災はなにか買い備えれば良いと思われがちですが、とにかくまずは自分の家を“安全で最強”にしてほしいです。寝室やキッチンで夜中に地震が起きてもけがをしない状況を作ること。その次にかわいくて役に立つ防災グッズを集めるのは良いかもしれません。そして、何かひとつでも防災を進めたら、全力で自分をほめてあげてください! 防災モチベーションをいかにキープするかもとっても重要です。
また、逃げる時に子どもを抱えられないほど重いリュックサックがあっても駄目。「命」を最優先に、優先順位をつけること。それから、自分にとって大切なこと、例えばスキンケアやファッション、食など、被災時でもQOLをなるべく下げないための準備など、旅行のパッキングをするつもりで楽しみながら考えるのもいいと思います。
防災リュックだけで2泊3日過ごしてみる防災体験や防災キャンプなど、実際の体験ができるイベントに参加してみると、より具体的なイメージが湧くかもしれません。自然災害は止められないですが、被災をしないようにすることはできる。自然災害をきっかけに命を落とす人が一人もいない社会ができたらいいなと思います。