長崎で原爆を経験し、戦後にイギリス人と結婚して渡英した悦子。夫と長女を亡くした悦子は、久しぶりに実家に戻った次女ニキに、終戦後の長崎で知り合ったシングルマザー、佐知子について語り始める。ノーベル賞作家カズオイシグロの長編デビュー作『遠い山なみの光』は、長崎にルーツを持つ同作家による「女性たち」の物語であり、戦争が社会にもたらした傷跡と、それがどんなふうに語り継がれてゆくかを描いた物語。
現代と過去を行き来する物語でスリリングなのは、価値観の激変の中で自分の人生を見つめる二人の女性──広瀬すずさん演じる、日本人の夫と結婚生活を送る若き日の悦子と、二階堂ふみさん演じる謎めいたシングルマザー、佐知子の関係だ。憧れながら蔑み、近づいては離れを繰り返しながら、いつしか重なってゆく二人の姿を、広瀬さんはどんなふうに演じたのだろうか。
──まずは脚本の第一印象と、この役を演じたいと思った理由をお聞かせください。
最初に石川監督から「自分の中で、今までよりもずっと大きな題材をやる」という真っ直ぐなお手紙をいただきました。監督はこれまでの作品を拝見して「これ以上に大きいってどうなるの?」と思ったのですが、いい具合に手触りのない物語がすごく面白いなと。登場人物が男性ばかりの作品が多い中で、女性の多様性、多面性を感じさせる登場人物にも魅力を感じました。
──「手触りがない」というのを、もう少し教えていただいてもいいですか?
どう演じたらいいか、どこに向かう物語なのかが、自分には明確に見えないと感じました。監督も、答えが出ていないところなどもあったようです。いろんな可能性が考えられる場面では、現場で監督と相談したり、いったん私なりに思ったことを試してみるという感じで、常に探り探りすり合わせていましたね。すごく良かったのは、他の俳優の方たちが自分の役をどう開拓されているのかを共有しなかったことです。現場で演じながら、「相手は自分とは違う考えだったんだ」という部分が垣間見えたときの違和感や、不穏さのようなものが、この作品のキーワードのひとつである「嘘」につながった気がしました。現場で共演者と対面しながら「このシーンはどこに向かっているんだろう?」「どういう意味があるんだろう?」と、すごく考えた現場だったと思います。
──広瀬さん演じる悦子は、さまざまな悪い噂を持つ佐知子(二階堂ふみ)という女性と出会い、不思議な関係を気づいていきますよね。二人の関係をどんなふうに理解しましたか?
悦子にとって佐知子は「希望」であり「道しるべ」のような存在なのですが、どこかで彼女にずっと違和感を感じていて、そのことを自分でもわかっているんですよね。佐知子に「私たち似てるものね」って言われる場面では、一応は「そうね」と返しながらも演じる私自身の中に「似たくない」という感情が不意に湧き上がってきて。自分にないものを持っていて、やりたいことができている人って、やっぱりすごく憧れるんですが、同時に嫉妬する部分もある。そういうパワーバランスの中にあると、割と相手に引っ張られていくじゃないですか。でも悦子は自分の欲望みたいなものが刺激されて、逆にどんどん前に出るようになっていく、攻めている感じがすごくしました。とはいえそのこと自体もすごく不穏な感じがするんです。徐々に佐知子に近づいているような感じがして。
──佐知子を演じた二階堂ふみさんとの共演はどんなものでしたか?
たぶん佐知子という役がそうだったというのもあると思うのですが、存在としてすごく強かったので、共演シーンはどれも印象的でした。独特のリズムがあるし、顔が綺麗すぎてずーっと見ていると、飲み込まれるような感じがありました。すごく不思議なバランスの持ち主で、一緒に演技をするのが怖いような、でも刺激もたくさん受けました。特に今回の映画では、監督もおっしゃっていましたが、うまく言葉にできない違和感を、ふみちゃんはしっかりと自分で咀嚼してはめて行くような佇まいがあって。そういう引力の強さは、佐知子と共通している、役そのままの人だったなと思います。
──広瀬さんご自身も、「自分の道をがんがん歩んでいる人」と見られているのでは?
いい具合に何も考えていないタイプなので、そういうところがあるといえばあるし、ないといえばないかもしれません。でも年齢を重ねるにつれて、「好き」とか「やりたい」というのを、言葉にして発するようにはなっているかなと思います。やっぱりこの仕事を通じて何かを発信していくには、ちゃんと自分の欲とか責任をきちんと感じながらやらないとダメだな、辛くなるなと感じます。今までは「そんなこと言ってもしょうがない」という思考がありましたが、そこは変わってきているかなと。
──2000年以降は、演じるうえで勇気が必要な役も多く選ばれていますよね。それはご自身で「こういう作品に出たい」という意志によるものなのでしょうか?
10代の頃は、周りの大人の方々に「求められること」を道しるべにしながらやってきたのですが、自分自身にはそれとは違う「やりたいもの」「好きなもの」がちゃんとあって。そういう作品との出合いは「絶対に無駄にしちゃいけない」と思うし、そこでの経験は心の支えみたいになっています。でも10代の頃のような作品は必然的に年々減ってきて、最近は逆に「私、そんなに可哀想に見えるかな?」という役が本当に多いんですよ。自分としては役をすごく選んでいるわけではないのですが、なぜかいつも家族がいないとか、失う役、悲しい役が多いので、なんでなのかなと思います。ただやっぱり、自分の根本にあるもの、家族とか友達とか、そういうテーマを持つ作品が好きなのでしょうか。考えたくなるし、知りたくなるし、自分なら代弁できるかもと思うような役が最近多い気がします。
──過去作で「心の支えになるような作品」「自分が代弁できるかも」といったやりがいを見出した作品はありましたか?
この仕事を初めて2~3年目の頃に出演した李相日監督の『怒り』ですね。すごく大きな契機になりました。追い詰められ、作品にちゃんと向き合った、初めての経験だった気がします。映画ってこういうふうに作るんだ、と。それまで多く出演していた「スポ根系」の作品は、気づくと上がっているエネルギーを放出するという感じなので、楽しく、気持ちよく演じられるんです。それに対して『怒り』は、1シーン1シーン、1カット1カットを、全部を考えながら演じた初めての作品でした。すごい景色が変わった、というか、変えられた、という感じでしたね。
──さまざまなテーマが重層的に語られる今回の作品も、そういう作品だったのではないでしょうか? 特に「現在の悦子が語る”敗戦直後の日本”の記憶や物語は、もしかしたら事実ではないのかもしれない」と感じることの連続でした。
そうなんです。もはや自分が演じている「若き日の悦子」が、一体誰なのかよくわからなくなっていくというか。過去の悦子、悦子の友人の佐知子、現代の悦子、悦子の娘であるニキという4人の女性像がシーンごとに混ざり合っていく、なんだろうこの違和感と思いながらも、目が離せないという作品でした。さらにイギリスに住む現代の悦子が、娘のニキに対して語る日本の歴史、長崎のこともそうですよね。ニキは日本人を母に持つとはいえ、イギリス育ちなので立ち位置が異なるわけで、そういうなかで受け継がれていく記憶というのはどう認識されるのか、ニキは母親の痛みにどうやってよりそうのか。
「痛み」というと少し大雑把かもしれませんが、物語の中心にあるんだけれど、誰も触れない「被爆」という要素が、そしてその時に長崎ですごした当事者たちの心情が、どう伝わるのか。悦子さんには「自分は被爆した」という確信はなく、ただ別の事実によって「もしかしたら」という形で表現されているのですが、そういう部分がどう届くのかなと、すごく気になっています。
広瀬すず
1998年、静岡県生まれ。2013年に俳優デビュー、'15年『海街diary 』で国内の新人賞を総なめに。出演最新作『宝島』が待機中。
『遠い山なみの光』
監督・脚本・編集:石川 慶
原作:カズオ・イシグロ/小野寺健訳『遠い山なみの光』(ハヤカワ文庫)
出演:広瀬すず、二階堂ふみ、吉田 羊
9月5日(金)TOHOシネマズ日比谷他 全国ロードショー 配給:ギャガ
ジャケット¥418,000 パンツ¥217,800/共にニナ リッチ(イザ tel.0120-135-015)
リング¥262,600/トムウッド(トムウッド 青山店 tel.03-6447-5528)
Photo : ZENHARU TANAKAMARU Styling : AYAKA ENDO Hair & Makeup : MAI OZAWA/mod’s hair Text : SHIHO ATSUMI