zenharu tanakamaru
ZENHARU TANAKAMARU

1950年代の長崎と1980年代 のイギリスで生きる女性たちの知られざる心の内に触れるヒューマンミステリー『遠い山なみの光』。原作は長崎生まれのノーベル賞作家、カズオ・イシグロが25歳の時に書いた長編小説デビュー作。イシグロが才能を称賛する石川慶が監督を務めている。劇中、松下洸平が演じるのは終戦からの復興の兆しが見える長崎で広瀬すず演じる妻・悦子と団地で暮らす傷痍軍人の二郎役。長崎で被爆した母と亡くなった息子の交流を描いた舞台「母と暮せば」での演技が認められて、キャスティングされた。

馴染みのある長崎を舞台に、傷痍軍人を演じた

ELLE 本作は変わろうとする女性たちの物語であり、二郎はきっかけともなる難しい役どころです。オファーされた時はどんな感想を持ちましたか。

松下さん すぐに「やります」と返事しました。悩む暇はなかったです。石川組に参加したい俳優がたくさんいるなか、僕を選んでいただけたことは本当にとても光栄でした。同時に台本もいただきました。『遠い山なみの光』の原作を読んだことはなかったのですが、『私を離さないで』がとても好きだったので、まさかカズオ・イシグロさんの作品の世界のなかに、それも石川監督のもと飛び込めるなんて、こんなに贅沢なことはないと思いました。さらに、自分にとっても馴染みのある長崎が舞台だったので、断る理由はどこにも一切ありませんでした。

©2025 a pale view of hills film partners
©2025 A Pale View of Hills Film Partners

ELLE 日本・イギリス・ポーランド合作ですが、現場の雰囲気はどうだったのでしょうか。

メインのカメラマンであるピオトル・ニエミイスキさんがポーランドの方なので、監督とは基本的に英語でやり取りされていました。僕は英語があまり得意ではないのですが、それでも会話は一言一句、聞き逃さないようにしていました。それから、僕が演じたのは傷痍軍人の二郎という役で、右手の指を消す必要があったので、VFX、CG処理にイギリスのチームが関わっていて、彼らは日本語がわからないので、僕の拙い英語と通訳の方を通じてコミュニケーションを取っていました。海外の映画制作チームと一緒に作品を作るなかであらためて「世界は広いな」と実感し、日本だけに留まっているのは少しもったいないという気持ちが芽生えて、もっと英語を頑張りたいと思うようになりました。

ELLE 海外でも活動したいという思いが強まりましたか。

今年5月にこの作品でカンヌ映画祭に行かせていただいたことも含めて、この年齢になってから急に海外のお仕事が増えました。逆に言えば、これまではほとんど海外での仕事にご縁がなくて、世界には自分の行ったことのない国ばかりなんだと、あらためて感じさせられました。僕は本当にこの小さな島国で生まれ育って、そのなかでの暮らししか知らなかったなと痛感しましたね。一歩外に出てみると、見たことのない景色、知らなかった文化がそこにはたくさんあって、飛行機の窓から見える町並みにも、ちゃんと生活があって、人がいて、車が走っていて、そんな当たり前のことに心が動いたんです。自分ってこんなにも外の世界に興味があったんだなと新たな一面にも気づかされました。これまではずっと、自分の内側ばかりを見つめてきたけど、外に目を向けていたら、想像以上に惹かれていたみたいです(笑)。

"a pale view of hills" photocall the 78th annual cannes film festival
Stephane Cardinale - Corbis//Getty Images

ELLE カンヌ映画祭の話題は日本でニュースになっていました。

初めてカンヌに行かせていただいて、見るもの全てが新鮮でした。普段のどかな港町であるカンヌが、映画祭期間は世界中から映画に関わる、ありとあらゆる人がぎゅっと集まって、右を見ても左を見ても映画人ばかりになる。映画の匂いを感じない場所がないぐらい、映画愛に溢れた人たちの集う場所で、この作品を上映できたことが嬉しかったです。多くの映画人がカンヌを目指して作品を撮り続ける理由も、少しわかった気がしました。

ELLE 現地での反響はいかがでしたか。

現地の方々の感想を直接聞く機会はなかったんですけど、上映が終わってからスタンディングオベーションをいただいたとき、日本ではなかなか味わえないような感動がこみあげてきました。作品を撮っている最中は、それぞれ目の前のことに精一杯でなかなか一つの感動を共有する時間って持てないんです。初号の試写でも、キャスト・スタッフみんなが集まって観ることはありますが、割と淡々と『よかったね』なんて言いながら、人知れず感動して、終わることが多くて。感動していても、それを表に出す場面はなかなかないんです。でも 今回はみんなでフランスに行って、ドレスアップして、一緒に映画を観て、拍手喝采の中、握手し合えた。その瞬間、『自分たちがやってきたことは間違ってなかったね』って言い合えたことが今までにない特別な経験になりました。映画祭でしかできない体験だったと思います。

石川監督と共に、繰り返しながら最適解を探った
©2025 a pale view of hills film partners
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ELLE 撮影を振り返ると、松下さんにとって、どんなことが挑戦でしたか。

僕は映画の経験がまだ多くないので、正直なところ、少しコンプレックスに感じてしまうところがあります。ドラマと映画では撮り方もスピード感も違うので、どれぐらい僕の集中力と経験が追いつくのか、不安に感じていました。テレビドラマや舞台とやることは変わらないのですが、進行のペースや関わる人たちが違うので、これはもう現場で慣れていくしかないんですよね。石川監督は丁寧に作品をつくられる手法で、何度もトライを重ねながら、常にいろいろな可能性を探っていらっしゃいました。本番が始まると、必ず、3〜5テイクは回します。一発でOKになったことはあまりありません。でも、ありがたいことに 舞台の経験が多い僕は同じことを何度も繰り返すのが割と好きです。楽しいというよりは、試されているような気がして、自分の引き出しから最適なもの選んで差し出して、違ったいればまた考え直す。その繰り返しがお芝居の面白いところなんじゃないかなとも思っています。いつかまた、石川監督に呼んでいただけたら、次はできるだけ一発で、監督の思い描いているものに近づけるような、そんなスキルを身に付けていたいです。

ELLE 演じた二郎という役柄について、教えてください。生まれてきた背景、受けてきた教育も違う、時代を隔てた彼をどのように理解していったのでしょうか。

僕はこの作品に取り組む前に、長崎の戦後を描いた舞台『母と暮せば』に参加していたのですが、その経験が役立ちました。その作品以外にも、戦中戦後を描いた作品に何本か出演したことがあって、戦争について考える時間が自然と多かったんです。そうしたなかで感じたことや学んだことを今回の二郎という役にできるだけ重ねながら、飛び込んでいきました。

ELLE 戦後80年という時の流れのなかで、今とは大きく異なる価値観も作中に描かれていました。

そうですね。舞台『母と暮らせば』と向き合うなかで感じたことのひとつとして、あの時代、約80年前を生きている人たちにとって、戦争は決して特別な経験だったわけではなく、日常でした。だからこそ、“庶民の話”として描くべきだと思いました。僕たちはその時代を経験していないから、どうしても痛みや悲しみを特別なものとして、少し大げさに表現してしまいがちになります。でも、本当にその時代を生きていた人たちは、むしろそれを淡々と語るしかなかったのかもしれません。食べ物がないことも、身近な人を亡くすことも“当たり前”のように起きていたわけで、そうしたリアリティがこの作品のなかで少しでも出るといいなと思って演じていました。

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ELLE 二郎さんは傷痍軍人で、心身ともに傷ついた過去を持ちながら、猛烈な仕事人間として暮らしています。心を開かず、家庭を顧みない彼と当然のように暮らす悦子もまた、今とは考えらない暮らしぶりをしています。

当時はまだ男尊女卑的な価値観が根強く残っていた時代で、だからこそこの作品には「女性が声を上げていい」というメッセージが込められているように感じました。その背景を踏まえて、二郎という人物はあえて少し横柄に見えるよう意識しながら演じました。そうすることで、そんな彼に対して物を言う悦子の強さが際立つと思ったんです。そのための逆算ではないですが、物語の着地点に向かって行くためにも、二郎はどこか身勝手に見える存在である必要があると思いました。面白いのは、そんな九州男児的な、あまり家庭を最優先していない二郎であるにも関わらず、戦争で指を無くしているために、独力でネクタイや靴紐が結べなかったりするので、その夫婦のパワーバランスがとても興味深いと思っていました。

ELLE 悦子が甲斐甲斐しく動き回って、ほんの80年前のこととは思えません。

二郎は対をなす存在として、どこか無自覚に悦子を傷つけてしまうような人物である必要がありました。その加減がとても難しく、やりすぎても良くないし、やらなすぎても物足りない。絶妙なラインを監督と一緒に探りました。台本をいただいた時にはもう少し強い、きつい感じの言い方を思い描いていたのですが、監督がイメージしている二郎は少し、柔らかかったんです。悦子に対しての愛情がないわけではない。淡々と言った方が悦子の胸に突き刺さる。彼女のフラストレーションが溜まれば溜まるほど、悦子が二郎に物を言う時の力強さが増していくと思ったので、なるべく不遜な二郎でいられるように心がけていました。

©2025 a pale view of hills film partners
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ELLE 二郎さんが指を触る仕草も気になりました。

思い通りにいかなかったり、イライラしてしまうと、指の傷がズキズキと痛む設定にしたんです。これは監督と話し合って、決めました。指がないことで、どこまで動きが制限されてしまうのか。どんな動きなら、できるのか。細かく何度も検証しました。実際には指を折り曲げた形で撮影をしてから、指先をCGで消しています。指先がない状態でお茶碗が持てるのか。実際の僕は左利きなので、上手なんですけど、左手で箸を使って、食べ慣れない仕草をしなければいけませんでした(笑)。ネクタイをキュッと結ぶことができないので、いつも最後は悦子にやってもらう。その首を絞めるような動きが次第に悦子の二郎に対する圧に変わって行きます。同様に、二郎ができない動きに、悦子がしゃがみ込んで靴紐を結んでくれる場面があります。その際、二郎は上から彼女を見下ろす形になっている。けれど、やがて悦子は立ち上がり、二郎に目線を合わせ、自分の意見を言います。最終的にそれまでの体制が逆転して、悦子が二郎を見下すような形になるんです。

ELLE 当時の夫婦のパワーバランスを体験して、松下さん自身、どんなパートナーとの関係性が理想だと思いましたか。

いいことも悪いことも、言いたいことを相手に言うことはとても大切なことだと思います。そういう意味では二郎さんは割と何でもかんでも悦子には言っていたような気がします。言い方がきついから、同じようにしたら、ちょっと火傷してしまいますけど(笑)。でも思ったことを隠さず言うことは、どんな関係性でも、大切なことなのかなと思います。言わずに、自分の中で蓄積してしまって、ある日、ひとりでに爆発してしまうより、その都度、思ったことを言うことが大事な気がします。

©2025 a pale view of hills film partners
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二郎の父親、緒方を演じた三浦友和

ELLE 二郎とその父親である緒方さんとの父子の関係性も、今の時代では考えられない溝があります。

作品が始まる前に、監督から、レポート用紙3枚ぐらいに渡る、二郎さんの生まれから現在に至るまでの生い立ち、履歴書みたいな物をいただいたのですが、そこに答えがありました。父親に対してどういう思いであるのか。彼はどういう思いで、それを払拭したくて生きているのか。そこには戦地に赴いた人にしかわからない痛みがあります。実際に悲惨な光景を見たからこそ、教職者として大勢の若者たちを戦争に送り出した父親に対する憤りがある。戦場に向かう時におめでとうと言われ、万歳三唱して、送り出されたことが永遠に引っかかっている。それは、当時、実際に兵士として、戦地に行って、生きて帰ってきた人たちが、皆、抱えてきた苦しみの一つだと思います。そうやって恨んだり、許したりを繰り返しながら、当時の人たちは生きていたんじゃないかなと思います。

ELLE 作品では戦争の悲惨さをダイレクトには描いていませんが、当然想起させます。松下さんは役者として使命感を感じることはありますか。

僕は正直なところ、俳優の仕事そのものが社会的貢献に直結するとはあまり思っていないんです。あくまでも、エンターテイメントのひとつとして、誰かの心にふっと届くような存在であれたらと思っています。俳優は花屋さんにもなれるし、警察官にもなれる。いろいろな役を通して、さまざまな暮らしを映す鏡のようでありたいというのが、僕のスタンスです。作品を見てくださった方が何かを感じ取ってくれたなら、すごくありがたいことですし、そういう自由さが役者のお仕事の魅力の一つであるとも思っています。使命感という意味で言えば、いただいた役に対して真摯に向き合い、しっかりと演じ切ること。それが、自分にできる精一杯の責任かなと思います。

zenharu tanakamaru
ZENHARU TANAKAMARU

ELLE 以前からそうだったのでしょうか。現在の心境でしょうか。

無理やりこじつけて探そうとしていた時期もあったかもしれません。自分で言うのもなんですけど、基本的には俳優って、直接的に誰かの役に立つ場面って多くないんですよね 。光石研さんが仰っていたことで 、すごくハッとしたんですけど、『俳優って直接誰かを助ける瞬間ってあまりないんだよ。例えば電車内で誰かが突然倒れて“このなかにお医者さんはいますか”って言う人はいても“このなかに俳優はいますか”って俳優に助けを求める人っていないよね』って(笑)。直接的に誰かを支えることはできないけど、回り回って、誰かの背中を押す瞬間はきっとあって、そういうお声をいただくと、やっていてよかったなって思います。時には誰よりも人の心に飛び込んで、結果的に誰かの人生に寄り添えることもある。俳優って不思議だけど、面白い仕事だなといつも思っています。


松下洸平

1987年3月6日生まれ、東京都出身。ミュージカル「GLORY DAYS」(2009)出演をきっかけに俳優として活動を開始。2018年には舞台「母と暮らせば」ミュージカル「スリル・ミー」で第26回読売演劇大賞杉村春子賞・優秀男優賞受賞、第73回文化庁芸術祭演劇部門新人賞受賞を受賞。歌手としても活躍しており、2021年に「つよがり」で2度目のCDデビュー。近年の主な出演作品にNHK連続テレビ小説「スカーレット」('19)、ドラマ「いちばんすきな花」(CX・'23)、「9ボーダー」(TBS・'24)、「放課後カルテ」(NTV・'24)、映画『室井慎次 敗れざる者』('24)、『室井慎次 生き続ける者』('24)などがある。


これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
映画『遠い山なみの光』本予告映像【9月5日(金)全国ロードショー】
映画『遠い山なみの光』本予告映像【9月5日(金)全国ロードショー】 thumnail
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『遠い山なみの光』

日本人の母とイギリス人の父を持つニキ。大学を中退して作家を目指す彼女は、長崎で原爆を経験し戦後イギリスへ渡り、苦楽を共にした長女を亡くした母の悦子の半生を作品にしたいと考える。次女に乞われ、ずっと口を閉ざしてきた過去の記憶を語り始める悦子。それは、戦後間もない長崎で出会った、佐知子という女性とその幼い娘と過ごしたひと夏の思い出だった。だが、ニキは次第にその物語の食い違いに気づき始め——。

公開表記:9月5日(金)TOHOシネマズ日比谷他 全国ロードショー 配給:ギャガ


Photo : ZENHARU TANAKAMARU Styling : TATSUHIKO MARUMOTO Hair&Make-up : KUBOKI(aosora)Text : AKI TAKAYAMA

スーツ エストネーション(TAGLIATORE)tel.0120-503-971